日英間でのEPA協定が締結合意
日本とイギリスとの間で10月23日、東京にて「経済連携協定」
(EPA)の署名式が行われました。
茂木敏允外務大臣とトラス国際貿易相が協定に署名し、政府は
26日に始まる臨時国会で承認を目指します。
両氏の会談では、来年1月1日から発効できるように協力
することで一致しました。
この協定により、日英間の関係をさらに強化・発展させたいとの
思惑があるようです。
経済連携協定(EPA)とは?
経済連携協定とは、自由貿易協定(FTA)のような関税撤廃だけで
なく、もっと広域にわたる経済の円滑化を図る条約です。
簡単に言えば、お互いの国が仲良く経済を発展させましょう
ということですね。
また、FTAは「物」の関税等に対する条約ですが、EPA協定は
人の移動や知的財産なども含まれます。
今年2月8日から二国間EPA協定の話し合いが始まり
その後何度も協議を重ね、ようやく合意したのですね。
大筋の内容は、EU時代のものが“たたき台“となるので
問題なく話が進みました。
最後まで争点となったのが「ブルーチーズ」だったのです。
“たかがチーズ”と笑ってしまいそうですね。
チーズなどの農産品の輸出枠を拡大させたいイギリス。
農家を保護したい日本。
輸出枠を減らされたくないEU連合。
三者間のかけ引きがあったのですが、無事条約締結に至り
そうです。
日本とイギリス、通商の歴史
日本とイギリスとの関係が始まったのは、安土桃山時代にまで
さかのぼることになります。
関ヶ原の戦いがあった1600年に、イギリス人のウィリアム・
アダムス(後の三浦按針)が漂着しました。
歴史で習った有名人ですよ(笑)
彼は徳川家康に気に入られ、貿易顧問として尽力しイギリスとの
間で初めて通商関係が結ばれたのです。
その後鎖国によって一旦国交が途絶えますが、幕末の混乱時代に
修好通商条約が締結されました。
その後明治時代には、「岩倉使節団」などが訪英し交流を深めて
いきました。
1902年には、ロシアの脅威に対抗するため日英同盟が結ばれ
ました。(敵の敵は味方ということ?)
しかし、日英同盟はアメリカなどの圧力により1923年に
解消されることになったのです。
第二次世界大戦によって、日本は壊滅的な状態になりましたが
1951年サンフランシスコ条約締結により日英関係が復活しました。
歴史を振り返ってみると、結構仲が良かった気がしますね。
その後も様々な交流がなされ、現在に至っています。
両国の思惑と締結の必要性とは
日本はEUとの間で2019年2月1日からEPA協定を締結
しています。
イギリスが今年2月にEUを離脱したため、日英間で新たに
条約を結ぶ必要があったということです。
単純にEU在籍時代の条約を、そのまま引き継げばよかった
のですが、EUとイギリスとの問題があるので、以前と一緒と
いうわけにはいかなかったようです。
また、どうせ新たに条約を結びなおすのであれば、さらに
発展した内容にするため協議を重ねてきました。
日本とイギリスはEPA協定を足掛かりに、より一層の親密化を
図りたいようです。
貿易関連強化以外に、両国にとって共通の思惑があるようです。
それは中国に対抗することです。
中国は「一帯一路」政策により、アジアからアフリカ・ヨーロッパを
含めた広域経済圏を作っています。
これに対抗するため、日本が参加する「TPP」環太平洋パートナー
シップにイギリスの参加を打診しています。
これには、イギリスも参加の意向を示しているようですね。
TPPは最終的にアメリカを呼び込んで、強力な経済圏体制を
作り上げたいのです。
そのためにも、イギリスとの経済関係を深め、オーストラリア・
ニュージーランドの“アングロサクソン系”と緊密な“仲間つくり”を
始めているのではないでしょうか。